天皇ごっこ ~母と息子の囚人狂時代~

schedule

8/28 fri 19:30~
8/29 sat 13:00~ 19:00~
8/30 sun 14:00~

※8/29 19:00~の回は完売致しました!※

pre-talk

only 8/29 sat 19:00(完売御礼)
「なぜ、見沢知廉なのか?」
鈴木邦男(文筆家)✖️松本麗華(心理カウンセラー・文筆家・『止まった時計』著者)✖️髙木尋士(照準機関)

place

APOCシアター@千歳船橋

会場住所:東京都世田谷区桜丘5-47-4
電話番号:03-6321-7690

ticket

Price 3,000円(税込)

stuff

照準機関:髙木尋士
照準助手:市川未来
照明:若林恒美
音響:大和二矢
ヘアメイク:木下恭子
制作:オフィス再生
協力:鈴木邦男、大浦信行、山平重樹、吉本千穂、有限会社スターダス・21、劇団回転磁石、演団♠四輪季動、CoRich、Confetti

cast

あべあゆみ伊織ジュンヤ磯崎いなほ・齊藤ヒヨコ・嶋木美羽・鶴見直斗・中川智美・永友優 (50音順)

comment

鈴木邦男(一水会顧問・文筆家)

『誰もが作品なのだ』
すごい男だった。すごい母だった。僕には一生わからないような人生を突っ走った見沢知廉。その見沢にぴったりと寄り添い続けた母、高橋京子。ギリシャ悲劇のような母子の情念を間近で見てきた僕は、そのあまりの深さに恐怖すら覚えたものだ。獄中の12 年間、母は一日おきに手紙を書き、毎週のように面会に行った。そんな事、最初の一年二年はできても、12 年間も続けられるものではない。見沢は出所後、母との約束どおり作家となり、次々と本を出した。それを見ながら恐ろしい執念だと思ったものだ。
ドストエフスキーのような男だった。「苦しむこともまた才能の一つである」とドストエフスキーは言ったが、見沢の人生は、その苦しむことの才能を遺憾なく発揮した人生だったのかもしれない。その苦しむことの才能は、見事に文学に結実した。見沢の一挙手一投足が、周りの多くの人の歩みを変えた。僕も変えられた一人だ。見沢が起こしたスパイ粛清事件は、政治運動のあり方を変えた。僕は雑誌「SPA!」にその事件を連載した。彼の死後も影響を与え続けている。劇団再生は、見沢の代表作『天皇ごっこ』から誕生した。大浦信行監督は、見沢知廉の映画を生んだ。作家山平重樹さんは、見沢物語を連載した。母高橋京子は、見沢知廉という作品を残し、見沢知廉は、僕たちという作品を残したのだ。

大浦信行(映画監督)

『見沢知廉とその母の事』
46 歳で自死を選んだ見沢知廉。そして彼を精神的にも物質的にも支え続けた母・高橋京子。
僕は4 年前、見沢知廉を主人公にしたドキュメンタリー映画をつくった。その過程を通して、この二人についての様々な出来事を知った。それは太古から営々と在り続ける親と子の、分かちがたい一篇の神話的叙事詩を目の当たりにするような経験だった。
獄中12 年、見沢の出所後、こんな事があった。お母さんが彼の部屋に掃除に行き、片付けをしながら呟く。「あなたが作家として成功してくれれば、私は野垂れ死にしてもいいの」。この言葉に見沢は「なんでそんな悲しいことを言うんだ」と、号泣し、その後、二人は抱き合って泣いたという。
また、こんな事もあった。お母さんが仕事から帰ってくると、自宅マンションの廊下や壁に点々と血が付いている。何か不吉な予感を覚えた彼女は、急いで家に駆け込む。すると、辺りは一面「血の海」であった。「何したの!」と叫ぶ彼女に、見沢は布団の中から「小指を詰めたんだ」と、ニコニコ笑っているのだ。
見沢が亡くなる数日前、一日に何度も電話をかけてきた。「お母さん、ありがとう、ごめんね」その言葉を繰り返していたという。
僕は今、三島由紀夫のこんな言葉を思い出す。「もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼んでいるものは、逆に不確定なものになる。すると夢こそが現実である」。
見沢知廉と高橋京子による数々の出来事の集積。それはこの現実の真っ只中に織り上げられた、母と息子の豊饒な「祝祭の場」だったのだ。

 山平重樹(作家)

『熱き血の子』
三島文学が母倭文重(しづへ)さんなくして誕生しなかったように、見沢文学も母京子さんの加護なくして産まれなかった。見沢知廉は文学に永遠の志を抱きながらも、最後まで革命家として死ぬことを夢見た---紛れもなく三島由紀夫と縁続きの過激浪曼主義(ラジカルロマンチシズム)という宿痾を背負った作家であった。文学者であるにはあまりに血が熱すぎ、革命家であるにはあまりに文学の女神に魅いられすぎていた。
わが死せむ美しき日のために 連嶺の夢想よ! 汝が白雪を消さずあれ---と詠った伊東静雄の譜をつぐ日本浪曼派の子でもあった見沢は、あの日、赫奕たる残照のなかに舞い、「汝が白雪」を証明してみせたのだった。
見沢知廉はなぜ自裁したのか? この野暮な問いに、いまごろ見沢は、いつものように母にたしなめられながらも、
「夕陽があまりにも美しかったからさ。死ぬには最適の日だった」
と、天井で高笑いしていることだろう。あの人懐っこい笑顔と、独特の、これ以上面白いことがあるかという腹の底からの哄笑で。

公演写真

撮影:吉田豊一

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